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日本の核開発と日航123便撃墜事件

1、密かに進められた日本の原爆開発    


さて、戦前の満州では最先端の科学研究が行われていました。もちろん、その多くは兵器開発を最終目的にしたものですが、当時の最先端の秘密兵器といえば「原子爆弾(以下、原爆)」でした。


原爆といえば、戦時中、理化研の仁科芳雄、湯川秀樹、朝永振一郎博士らが、遠心分離機を使って濃縮ウランの抽出に成功していましたが(二号計画)、遡る1924年に東大の長岡半太郎博士、1934年には東北大の彦坂忠義博士によって、世界で初めて「原爆の原理」が発明されていました。

 

原爆開発は、「こんな悲惨な兵器は作ってはならぬ」という昭和天皇の命令で一旦中止され、技術はナチスドイツに譲渡されたことになっていました。が、米国のマンハッタン計画を知り、焦った陸軍の杉山元・参謀総長は原爆開発を理化学研究所に依頼し、密かに再開されます。


一方、海軍も京大の荒勝文策博士に依頼(F計画)、その証拠に、ウラン濃縮に使うための遠心分離機の図面が関係者の遺品から発見されています。


その図面は、荒勝教授が独自に設計したものと、制作を依頼された東京計器制作所が作ったものの2点で、このうち東京計器制作所が作った図面には、終戦の4日後の「昭和20年8月19日完成」という字が明記されています。


この結果、原爆製造の技術は完成しましたが、燃料の濃縮ウランやプルトニュウムがありませんでした。 そこで軍部は、ドイツに依頼してウランを入手しようと計画、2隻の潜水艦がウランを積んでドイツから日本に向け出向しますが、1隻はマレー沖で米軍に撃沈され、残る1隻は消息不明とされます。


が、児玉機関の創設者・岩田幸雄氏の証言によると、不明の1隻は無事呉軍港に到着していました。 岩田氏が杉山陸軍大臣に報告すると狂喜乱舞して喜び、「航空機搭載可能なイ400型潜水艦を使ってハワイに投下し戦局の逆転を図る」と告げたといいます。 


ところが、このことを知った昭和天皇は、東條首相と杉山陸相を呼び、「数か国が開発を競っているということだが、日本が最初に開発し使用すれば、他国も全力を挙げ開発し使ってくるだろう。それは全人類を滅亡させることになりかねないが、それでは日本が人類滅亡の悪の宗家になるではないか。」


「またハワイに投下する計画ということだが、ハワイには日本人の同胞が多く移住し、現地人と共に苦労し今日を築きあげたところである。そんな所に原爆を使うことは許さぬ!」 と厳命したと言います。


昭和天皇のこの発言によって、「陛下の意思を無視することはできない」という東条首相と、「敗戦となっては日本は滅びて元も子もなくなるから使用すべきだ」という杉山陸相が対立。が、結局、杉山陸相は陸相を辞任し野に下ります。 


ところが、昭和19年7月、東条内閣が総辞職すると杉山は再び陸相として復活、自分の責任で原爆開発を進めさせます。今回は長距離噴進砲(ロケット)に搭載しての使用を考え進めますが、その燃料製造過程で誤爆事故が発生して再び昭和天皇が知るところとなり、天皇は激怒、「まだやっていたのか!」と怒りを顕わにしたといいます。 


そんな中、日本での開発が遅れた原爆を世界で一番早く完成させたのは、日本の技術をベースにしたドイツでした。が、英米と内通していたと言われ、実際、「ヒトラー暗殺計画未遂事件」で処刑された"反ヒトラー派"のロンメル将軍の裏切りによって米軍の手に渡り、皮肉にも広島、長崎に使用されたと言われています。


この広島、長崎への原爆投下を受け、焦った日本も米国への報復を示唆するため、陸軍が終戦の3日前の昭和20年8月12日、現在の北朝鮮・金策市(当時の名称は城津)で日本初の原爆実験を行ったと思われる人工地震の記録が、米国公文書に残っています。



2、完成していた日本の核兵器


さて、話を戦後に進めますが、北朝鮮の「金策市」に残された日本軍の"置き土産"ともいうべき技術が、現在の北の核開発のベースにもなっています。ちなみに、「金策」とは、金日成と並び称される抗日戦線の英雄にして金正日の本当の父親であり、本名・「畑中理」という名の陸軍中野学校出身の日本人工作員です。


また、金日成は4人いて、最初の3人はそれぞれ「金成柱」「金聖柱」「金一星」という日本陸軍が送り込んだ工作員で、彼らが抗日戦線の英雄となれたのは、日本の陸軍士官学校や陸軍中野学校を卒業し、日本軍の戦術を熟知していたためでした。が、公式には3人とも抗日戦で戦死し、金策も朝鮮戦争で戦死したこととされていますが、奥の深い話なので詳細は後述します。


一方、日本国内での核開発の方も戦後、密かに継続されます。また54基の原発(軽水炉)を20年近く稼働させると結果的に核兵器燃料であるプルトニウムは勿論、濃縮度が違うだけの濃縮ウランもできてしまうわけです。原発には軽水炉以外にもありますが、軽水炉が普及したのはウラン濃縮とプルトニウム生成が可能だからです。

 

その結果、日本の核開発もその後進行し、1996年、フランスに委託した仏領ポリネシアでの核実験を最後に最終段階を迎え、更には、すでに核兵器は完成しており、「日米原子力委員会」でも日本の中距離核ミサイルに限っては保有が認められていると仄聞しています。


実際、日本には核爆弾の運搬手段である長距離ミサイル転用可能な世界最高レベルの「MV」もあり、また「激光XⅡ」という核融合装置もあるため、コンピュータによる模擬実験も可能です。 


また、米国マサチューセッツ工科大学での原子力の学位を持つ大前研一氏も、2005年2月25日、韓国のマスコミからの「北朝鮮の核保有が最終確認された場合、日本も核武装に動くのか」という質問に対して、「その可能性は大きい。日本はその気になれば90日以内に核爆弾を製造し、ミサイルに搭載できる技術的能力を持っている。」


「我々はすでに大陸間弾道弾(ICBM)水準のミサイル(ロケット)も保有しており、核爆弾2,000基を製造できる分量に相当する50トン以上のプルトニウムを備蓄している。」と語っています。


ところで、原爆の他、戦前、すでに開発されていた秘密兵器に「電磁波兵器」があります。敵のレーダーを使用不能にすることを目的に、甘粕機関下の神坂新太郎博士とドイツのラインホルト博士が満州で共同開発していました。戦後も国内でさらなる開発が進められ、現在は「HAARP(統合地球物理学兵器)」と呼ばれ、世界に7か所、日本にも滋賀、長野、青森に施設が置かれています。


「HAARP」は、地球上空に向けて照射された電磁波を、電離層で反射させて地上に戻し、電子レンジに似た原理で地殻深部にある水分子を振動させ、温度を急上昇させることで地下水を一気に膨張させ爆発力を生み出す兵器で、その威力は、例えば、電子レンジで加熱した銀杏を見れば明らかです。


 

日本軍の電磁波兵器 


旧日本軍の携帯用電磁波兵器。この技術が基礎となって現在では滋賀県(京大成層圏研究所)、長野県佐久郡、青森県三沢市に電磁波兵器HAARPがある。これらは東京スカイツリーで統合され首都圏への電磁波攻撃を阻止するシールドを形成している (注意!http://twitpic.com/d05zo4 )。

 

3、撃墜された「日航123便」


戦後、原子力発電所を含む日本の核開発は、公式には昭和40年代から着手されますが、"脱石油"を目指し、これを進めた田中角栄は米国の逆鱗に触れ、ロッキード事件で失脚させられます。が、もう一人の推進者だった中曽根康弘は米国に協力したため逃げ切ります。


ところで、1985年8月に「日航123便・御巣鷹山事故」がありました。墜落原因について、一般報道では「圧力隔壁のボルトが緩んで…」などと言っていますが、実際は、韓国から飛来しボディを黒く塗りつぶした、当時最新鋭の熱探知ミサイルを搭載した米空軍F-106による撃墜だという説があります。


実際、これを裏付けるように、近年では雨で浸食された墜落現場の一角から、米軍パイロットの腕時計が発見されています。公式には、「123便は医療用アイソトープを運搬していた」ということになっていますが、わざわざ旅客機を使ったこと、自衛隊出身の機長を使ったことなどから、様々な憶測が流れて来ました。


また、2010年5月16日には、江戸東京博物館で「御巣鷹山事件・真相解明シンポジウム」が開催され、❶民間現場到着第一号の方の貴重な目撃証言、❷この戦闘行為の目的、❸123便の飛行計画、❹123便搭乗者の内訳(日独のドル切下げ反対論者)、


❺123便の積載物と現場の核反応、❻事件後に現場に出来た揚水ダムと東電疑惑、❼御巣鷹山事故後に急転直下のプラザ合意(ドル大幅切り下げ)がなされたこと、❽中曽根康弘と瀬島龍三(伊藤忠商事会長)、などが紹介され、結論として、「123便には、核兵器(或いはその燃料)が積載されていた」とされました


ところで、現在の中国の発展の背景には、田中内閣以来の経済・技術援助にあるとされていますが、123便が搭載した"荷物"も、最終的には中国に運ぶ予定になっていたとされます。また、1970年の「よど号ハイジャック事件」も、日航機に積載した核爆弾原料を北朝鮮経由で中国に渡す為だったという説もあります。


確かにこの時期、白血病で亡くなった女優・夏目雅子らが、人気TV番組「西遊記」の撮影を、核実験が頻繁に行われたゴビ砂漠で長期間にわたり行っていたことからも、中国が原爆開発を最重要課題にしていたことが窺われます。


御巣鷹山上空では、米軍と自衛隊が交戦し、米軍はグァムから偵察機も飛ばしていたようですが、日本の核開発に関して、正反対の利害関係を持つ勢力が背景にいたことを物語っているようです。そしてひょっとしたら「3・11(フクシマ)」も、こうした大きな枠組みの中で起きた事件として捉えることが出来るかもしれません。



以上、ブログ「 新・日本の黒い霧 ( JAL123便墜落事故-真相を追う )」から一部引用。



123便

空対空ミサイルで垂直尾翼を破壊された日航123便


以上、ブログ「 新・日本の黒い霧 ( JAL123便墜落事故-真相を追う )」から一部引用・要約。

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